日向坂46 佐々木美玲「わずかな光」歌詞考察。わずかな光ってどんな光? | のら猫ひろしが坂道のぼる (のら猫ひろし)

日向坂46 佐々木美玲「わずかな光」歌詞考察。わずかな光ってどんな光?

歌詞の意味を考察


僕の孤立感を紛らわす光

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タイトルから、希望をテーマにした曲を想像しました。絶望した時に、差し込む一筋の光といったところでしょうか。


歌詞に、どうしてどうして君は微笑むの? 無表情の僕に、とありますから、まさに「君」の存在が一筋の光となっています。

タイトルの「わずかな光」は、「君」の笑顔でした。

ということは、普段の「僕」は沈んだ気持ちで、過ごしていることになります。

だから、「僕」は、無表情なのでしょう。そして、「僕」の沈み込んだ気持ちは、次の歌詞で表れていると思いました。

放課後 教室の窓が夕暮れに追い詰められて

「僕」の気持ちが晴れ晴れとしていれば、夕日に美しさを感じるはずです。

しかし、窓が追い詰められて、と感じてしまうほどに、「僕」の気持ちは塞がっていました。

学業不振か、家庭内不和かと、色々と考えてしまいます。

確かのは、視界に入った窓が追い詰められていると感じるほどに、「僕」は何かに追いつめられていることでしょう。

そして、寂しさとどう付き合う? 耳を塞げばいいんだって、と自分の殻に閉じこもってしまいました。

ですが、次の歌詞で「僕」が、孤独から開放されたがっていることがわかります。

僕の心を照らしてくれないか? もし君が太陽なら

「僕」は、やはり孤独が辛いのでしょう。そこへ、「君」が現れたことで、「僕」の心に、わずかな光が差し込んだのでした。

草を照らす日の光

開きなおって孤独を楽しむのもあり

ただし、このまま「君」に期待しないで、孤高の道を突き進むのもありだと考えます。

孤独であることに苦痛を感じなければ、厭世主義者のショーペンハウアーに通ずるような厭世観を手にいれられると思いました。

もちろん、孤独の辛さに、年齢は関係ありません。ですが、のら猫ひろしは、すでに開き直っています。

部屋に差し込む西日を眺めつつ、背中を丸めてキーボードをカチャカチャすることに幸せを感じていました。

生涯未婚率を高めたって、逮捕されるわけでもありませんし、人と会ったら会ったで、分かり合えるという気持ちになることはないのです。

人の気分には波がありますから、群れていれば必ず、感情的な軋轢が生じます。

そういったことから、集団行動にはメリットよりデメリットのほうが大きいと思いました。

だから、のら猫ひろしは、孤独を肯定しています。

終わりに

「わずかな光」の「僕」は孤立しているけれど、孤独は辛いと感じています。だから、光が欲しい、のでした。

そんな「僕」に「君」が微笑みます。

欅坂46の3枚目のシングル「二人セゾン」の世界に突入しそうな明るい予感を感じました。

「二人セゾン」に、誰かと話すのが面倒で目を伏せてという歌詞があります。

また「君」はセゾン日常を輝かせる、という表現もありますから「わずかな光」の「僕」と「二人セゾン」の「僕」は、同一人物ではないかと想像しました。

だから「わずかな光」の無表情な「僕」に明るい変化が生じるのではないかと、想像できます。 終わり


■わずかな光■
日向坂46 佐々木美玲ソロ曲「わずかな光」は、けやき坂46名義のファーストアルバム「走り出す瞬間」に収録されています。

作詞は秋元康さん。